【能登地震】寸断された道路…輪島に住む父と再会へ【スーパーJチャンネル】(2024年1月4日)

 能登半島を襲った最大震度7の地震。高齢の父親が残る輪島市に地震発生から3日経って入った男性を取材しました。 ■“大動脈”で土砂崩れ 道路寸断  石川県珠洲市の住宅には12人が集まっていました。このうち3人は救助されましたが、残る9人の安否は分かっていないといいます。  被害の全容は今もなお、つかめていません。  石川県などによりますと、県内で死亡が確認されたのは、これまでに81人。安否が分からない人も増え続け、79人になりました。 住民 「前はいいところだと思って…。息子や娘は都会に出ているから、ふるさとに戻ってくるのを楽しみにして…。他のところに行くつもりはないが、子どもたちには、ここに一生…どうかなと考えるようになった」  細長い半島の先端という特性。さらに、救助に向かうのも支援物資を届けるのも極めて困難な状況が続いています。 ■父を捜して…避難先から輪島へ  番組が能登半島の中央に位置する石川県穴水町に入ったのは3日。避難所になっている病院には自宅の状況も見られず、家族にも会えていない男性がいました。 橋爪和夫さん 「家が輪島で職場が別所岳サービスエリア。歩いてここまで来た」  元日は山の中腹にあるサービスエリアにいた橋爪和夫さん。翌日、徒歩で山を下ったものの、自宅はさらに20キロ近く離れた輪島市です。その家には100歳近くになる父親がいました。 運転手 「こんなところに誘導員もいないというのは手が回らないのか」  4日朝、番組取材班とともに向かいました。 橋爪和夫さん 「普段、生活で使っている道路がこんな景色になるとは思っていないので」  自宅があるのは朝市通りの近く。大規模な火災が起きた場所です。 橋爪和夫さん 「これが私の家です」 「(Q.ここですか?)これです。ここが玄関です。跡形もないですね…」  わずかに建っているのは玄関の枠組みだけです。子どものころから、そして60を超した今も住む家です。 橋爪和夫さん 「生まれて育ててもらった家っていう想いがね。こうなると寂しいな…」  地震が発生した時、家にいた父親は近所の人に助けられていました。 橋爪和夫さん 「ほっとした。元気そうで良かった」 ■おにぎり分け合い「水が欲しい」  輪島市では、被災した住民たちが自ら炊き出しを行いました。 おにぎりもらった住人 「ありがとう。初めてのご飯…。1日から初めて。ありがとう」 「(Q.一番、今何がほしい?)水。水がないと何もできないから。米あるけど、米煮ることもできない」  断&#
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